外れ年のワイン
何をやってもダメなときがある。あがいてもあがいても、出口が見えない状況。
2026年は、まさにそんな1年です。
年明けに立て続けに決まった大型案件は、幸先のよいスタートに見えました。ところが突発性難聴の発症、春先には担当者の異動や予算の見直しといったどうにもならない理由で、一つ、また一つと消えていきました。
自分のせいだろうと思いながらも、実際にはそうでないことも多いのです。
そんな中で支えになったのが、「外れ年のワイン」の話でした。もともとは講座の雑談用に自分で仕込んだ小噺ですが、今年に限っては、話している本人にいちばん刺さっています。
豊作のワインは、神が造る。不作のワインは、人が造る。
豊作の年は、人間が邪魔さえしなければ、おいしいワインがたくさん生産されます。一方で不作の年は、人間が使えないブドウを見分けることで、当たり年に近いワインを造り上げます。
何をやってもダメな不作の年こそ、自分自身が何を捨てて何を残すかを見極め、好調な1年と同じように過ごす努力をする。
そういうことなのだと思います。
「霧が晴れるときは、いつでも一瞬だから」
この言葉は、講座の中で受講生に向けて話したものですが、実際には自分自身に言い聞かせていたのだと思います。
不作の年にやるべきことは、嘆くことではなく、選別すること。使えないブドウを取り除くように、惰性で続けてきた仕事や、役目を終えたやり方を一つずつ手放していく。
残ったものだけで醸した一本が、案外、当たり年に負けない味になるのかもしれません。霧の中では足元しか見えませんが、足元さえ見えれば歩くことはできます。
2026年の残りは、焦らず選別の手を動かしながら、晴れるその一瞬を静かに待つことにします。