Transparently を運営する、フリーランスの講師・コンサルタントです。
このページでは、私のこれまでと、大切にしていることを綴りました。
石原裕次郎から名前がついた私でございます。小樽にあった裕次郎記念館で、父ちゃんに「おーい裕次郎」と呼ばれて全員に振り向かれた記憶から、もう約20数年経ちました。1981年10月22日生まれ、東京都出身のてんびん座。ハローワークの求人票で出会った「講師」という仕事を、2012年より続けています。四半期ごとにこのページを読み直しながら、自分のいまを確認するようにしています。
競泳しかしてこなかった大学卒業後、自分の趣味を探していたとき、フランス語の授業でクラスメートから「ハリーポッター」を薦められました。本嫌いだった自分でしたが、その印象が強烈すぎて、ファンタジー小説を書きたいと思うようになってしまいました。
フリーター・派遣社員として食いつなぎ、本を読みまくって書きまくる日々。26歳のとき、貯金が底をつきます。採用されては辞め、一攫千金を夢見るようになり……紆余曲折の20代でした。
最後の20代、書類選考でほとんど落とされていた中、「職業訓練校での講師業務(Word)」に応募します。これが不思議と電話1本、面接1回で採用されてしまいました。適職と出会うと、不思議と歯車がトントン拍子に進むもの。これが、講師業のはじまりでした。
サラリーマン講師として3年間過ごし、2012年11月12日に独立。地元の税務署に紙切れを提出してハンコをもらい、フリーターからフリーランスへジョブチェンジを果たしました。たったこれだけで世間の評価が変わったのには驚きました。
最初はなかなか仕事を得ることができず、サブ講師ばかりの悶々とした日々。そんな中、たまたま運営していたWebサイトが時代とコンテンツマッチして、月間100万PV(最大300万PV)のサイト運営者になりました。
このチャンスをしっかりと掴み、Google AdSenseと出会うことができました。Webサイトからの収益安定を機に歯車がまわりはじめ、次第にメイン講師の依頼も増え、ようやく自分の講座を持てるようになりました。2017年には、東京・乃木坂駅近くのビルの1室に個人事務所を設立。
東京・目黒区にある太陽教育スポーツセンターというスイミングクラブに通い、4歳から20歳まで水泳を続けてきました。最後のジュニアオリンピック予選会(高校3年生)で出したタイムを、大学生になってからも一度も突破できず、大学2年の日本学生選手権水泳競技大会の個人メドレー予選を最後に、競泳生活を引退しました。
選手時代で一番過酷だったのは、毎年1月4日〜7日に開催された冬の合宿。社会人になってからもメンタルでやられそうなことは多々ありますが、あの冬の合宿より過酷なことは、この先二度とないでしょう。
大人になるまでの期間は、プールにいる時間がほとんど。練習は嫌いだったし、つらいことがほとんどでしたが、競泳生活が私の人生の基礎を作ってくれました。40過ぎても、クロールのきれいなフォームは維持しています(自画自賛)。
元・競泳選手な泳ぎであることがわかっていただけると嬉しいです。
てんびん座。石原裕次郎から名前をつけてもらった。
太陽教育スポーツセンターに入会。以来16年間、プールに通い続ける。
中学3年の夏、関東中学選手権大会にて入賞。表彰台まであと1人だったね。
高校3年の夏、東京都高等学校総合体育大会にて優勝。競泳選手として最高の瞬間。
大学2年生の夏、日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)の個人メドレー予選を最後に、16年間の競泳生活に幕を下ろす。最高の終わり方だったよ。
大学3年、コンピュータールームに閉じこもってHTMLを独学。ミルキーウェイのベガ通り9589番地が、Webとの出会い。
流されるだけの就職活動を辞めて、フリーターに。ものすごい本を読んだけれども、今はほとんど覚えていないや。ジョン・グリシャムの小説が好きだった。小説家になると言いながらも、完結した物語は3つほど。難しかった。
月給175,000円の職業訓練講師となり、初めて「適職」であり「天職」と出会う。飲食店のアルバイトと違い、仕込み・片付けがない「講師業」は最高だったんだ。
地元の税務署に紙切れを提出し、フリーランス講師へジョブチェンジ。独立前後にWebサイトが月間100万PVを達成し、Google AdSenseと出会う。
1月、Google Adsense Top Contributor に認定。8月、1冊目「スピードマスター 1時間でわかる エクセルの操作」(技術評論社)を出版。
東京・乃木坂駅近くのビルの1室に個人事務所を構える。仕事を「探す」から「得る」へ、ベクトルが変わった転換点。
「時短しながらミス撲滅! Excel無敵のルール」(インプレス)。コロナ禍の緊急事態宣言中に刊行。この時期、オンライン講座のノウハウを徹底的に磨く。
「ワークマン式エクセル」(日経BP)の第1章・第2章の解説を担当。4冊目と同時進行で、本当に大変だった。
「自己流でなんとかならなくなったので、Excelをイチから教えてください!」(ナツメ社)。ストーリーを全部自分で作り上げた、私の中では傑作の1冊。
データサイエンス・情報セキュリティ・生成AI活用を中心に。「学ぶことの楽しさ」という原点を忘れず、生成AIをよき相棒として使いながら邁進中。
自分が何のためにこの仕事をしているのか。ここに記載しておきます。
パーパス ——
すべての人に「わかりやすい」指導を提供することで、教育のアクセシビリティを高めることを目指します。
ビジョン ——
教育を受けた人々が、実用的なスキルを習得し、より豊かな人生を送ることができる未来を描いています。
ミッション ——
井の中の蛙になることなく、自分自身も常に学び成長し続けることで、最高の指導を提供することを目指します。
講師業だけでは井の中の蛙となってしまうため、自分も表計算ソフトを扱う現場に飛び込み、広告代理店・ホテル・医療・建設業界と、様々な分野のデータを整理し、業務改善を行っています。
小説家を目指していた20代にバイブルとして読んでいたスティーブン・キングの「小説作法」の中に、彼が子供の頃、叔父さんと一緒に家の裏手の破れた網戸を交換する話があります。
網戸の修理に必要だった道具は、大きな道具箱の中にあったドライバーだけでした。まだ子供だったスティーブン・キングは叔父さんに向かって「道具箱なんかいらないじゃん!」と訊ねます。すると叔父さんはこう答えました。
「なにがあるか、ここへ来てみなきゃあわからないからな。だから道具はいつも、全部持っていた方がいい。そうしないと、思ってもいなかったことに出っくわして弱ったりするんだ。」
この話が記憶の片隅に残っており、ある日の講座中にふと思い出しました。自分の指導は受講生に対して【道具箱】を取り揃えてあげているだろうか? テキストの内容を単純に繰り返すだけの研修講師になってしまっていないだろうか?
このことを忘れないためにも、自分も毎日データを取り扱う現場に入ってスキルを磨き続けています。これまでの経験を生かして、様々な講座を受け持っておりますので、教室で、研修で、またはオンライン上でお会いした際には、何卒よろしくお願いいたします。
2003年の4月、Yahoo! Japanの無料ホームページサービス「ジオシティーズ」を知り、ホームページ制作に興味を持ちました。大学3年生、コンピュータールームに閉じこもってHTMLを勉強し、ミルキーウェイのベガ通り9589番地に立ち上げたサイトが「Transparent」でした。
当時作ったFlashオープニングは、ローディングの後に写真がふわっと現れて、左からサイズの違う長方形が重なりながら流れ込んでくる——そして最後に小さなEnterボタンがあらわれる、そんな演出でした。
時代は変わり、Flashはもう動きません。けれど、「動きで何かを伝えたい」と思った初めての気持ちは、今の仕事の一番深いところに残っています。このページの、この小さなひと幕だけ、あの頃の気配をひっそり置いてみました。
サイトタイトルの由来は、ポポローグ(プレイステーションのゲーム)の中で、いたずら好きの双子妖精ミルトの声を担当されていた氷上恭子さんの「トランスペアレント!」という呪文の声が耳に残っていたからです。時は流れ、独自ドメインを取得する際にTransparentのドメインが取得できず、副詞のTransparentlyに落ち着きました。結局のところ自分の活動にあっていて、今は好きです。