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自営業の記録

Yujiro Sakaki

※ 暇なときにつらつらアップしていきます。

講師をしていると、いろいろな演習と出会います。とある研修で「チームの絆を深めるための演習」というものがありました。そのお題が、このようなものです。

【自分の持っている写真から5枚選んで、現在の自分を語りなさい】

自分も5枚選んで5分間という制限時間の中でまとめて話したのですが、自分の過去を人に語るというのは、隠れた承認欲求を満たすらしく、妙な快楽があるものです。

また、他の人の話を聞いていると、その人の意外な一面を知ることができて、1、2回会っただけでも1年以上前から知っている気分になったんですね。

ここでは、つらつらと独立した年、2012年以降から記載してまいります。5枚じゃ到底収まり切りませんが、自叙伝的な感じでブログに記載してみました。

2012年のフランス一人旅がすべてのはじまり

20代は小説家を目指しながら、アルバイト、派遣社員と、月20万円の収益を確保するために、夢追うフリーターとして、両親に迷惑をかけながら生きておりました。

貯金も底をつき、苦しみ果てた20代ラストランでしたが、最終的に職業訓練講師として落ち着くと、自分の適職は「講師」だ、という発見を得ることができました。

しかし、働いていた訓練校が閉校となり、そのまま会社都合の解雇となります。

年齢は、すでに30歳。とりあえず有給休暇が残っていたので、その間に一人旅に出ようというマインドになり、フランス・ニースに行こうと思い立ちます。

当時はクレジットカードの力も財力もなく、格安航空券で向かいました。

格安なので乗り継ぎが非常に悪く、巨大なアムステルダム空港でなんと5時間待ち(まあ、旅行慣れした今では大したことない乗り継ぎですけれども)。

日本時間は午前3時、ふらふらな状態で初めて英語で注文したこのハイネケンは一生忘れません。

追記として、エズの庭園と、北イタリアのワインバーの自撮り写真と、初の一人旅を堪能しました。

この一人旅が、個人事業主になろうと思ったきっかけです。

食を楽しみ、景色を楽しみ、人と楽しみ、時間を楽しむ。フランス人のそういう過ごし方を学ぶと、1回しかない人生、時間とお金に束縛されている就職活動がまったく馬鹿らしくなったんですよね。

サンフランシスコのGoogleへ

とはいえ、開業してから月20万円を確保するだけでも大変でした。最初は20代のフリーター時代のほうが、収益性はあるくらいでしたからね。

昔の弥生会計を見ると、月8万円という時期もありました。

2013年、ひとつの波が起きます。必死に書いていたブログが、大きくヒットしていきます。そこに、Google AdSense(広告収益)というプロダクトの出会いがありました。

いろいろなイベントを通じてGoogleの社員さんと出会い、その方が思いっきり自分のスキルを引き出して、底上げしてくれたんですね。

そして人生で初めてアメリカ・サンフランシスコに飛びます。

サンフランシスコのGoogleでは、いろいろな出会いがありました。日本の働き方がいかに無駄が多すぎるかも感じた日でしたね。 海外に出て日本を見つめなおすことはいいことでした。

プールサイドでの昼食と(食事は残念ながらアメリカ仕様でおいしくなかったw)社員さんに車で連れて行ってもらったステーキハウスが本当に美味しかったです。

World Domination Summit

その勢いで、WDSというイベントに参加します。

ポートランドで開催されている、いわゆるTEDのようなイベントに参加しました。いろいろな基調講演を聞いて、自分のマインドに+になるよう消化しました。

2013年~2015年まで3回連続で出席したのですが、これも自分の成長要素だったと思います。

悦子さんのおかげで壇上に上がる機会もあり、アメリカの舞台に立ちました。

このときは、一生分のハグをアメリカ人としたと思います。

ポートランドはビールがおいしかった。アフターパーティーの写真はたくさんあるのだけど、このボブおじさんと一緒にダンスした写真は好きw

ボリウッドダンスだっけ? あれがすごい楽しかった。

ポートランドのホテルは、マークスペンサーホテル一択。

アメリカの時差はけっこうボディーブローきます。でも、午後2時から4時までワイン飲み放題ってサービスがあったら、やっぱり飲んでしまいました(それでセッション欠席してしまったけど)。

アメリカのワインって本当に美味しいのね。

ポートランドの街にある大きな川、ウィラメットリバーでギネス記録にも挑戦したんだっけ。カメラの調子がよくなくて、こんなふうに撮って写真を保存w

ポートランド、楽しかった。

手首骨折したまま出掛けたアメリカ・テキサス出張

2018年の5月でした。赤坂のスーパーで買い物をしたあと、カラスに襲われて(喧嘩していた3羽に巻き込まれ、よろめいて転倒しました…)骨折をしたのが出発2週間前。

当時デルタ航空では上級ステータス保持者だったので、だから考慮してくれたのかもしれないけど、登場直前にアップグレードしていただき、成田→ロサンゼルス間は「デルタ・ワン」というデルタ航空においてのファーストクラスに乗ることができたんです。

通常チケットなら、片道50万円。

たったこれだけのイベントで、今までの年会費すべてペイできて、お釣りが出てきたようなものでした。 手首骨折しているだけなので、肝臓は平常運行。

シャンパン・ワインを高橋真麻のように飲みました。

テキサスのGoogleで大いに楽しみ、帰りはWDSのイベントで土地勘のついたポートランドを経由して帰宅しました。アメリカの国内移動は久しぶりだった。

人間万事塞翁が馬、という諺が大好きなんですけど、まさにそんな1年でしたね。

2019年、コロナ禍突入前の大学講座

毎年春は各大学様で、新入生向けの講座を楽しみにしていました。

コロナ禍でしばらく大学講座はありませんが(もうないかな)、2019年、学生たちと一緒にやったパソコンセットアップ講座は本当に楽しかった。依頼があれば、ボランティアでもやりたいのだけど。

学生はやっぱり初々しい。写真は明治学院大学の学生たち。顔がわからない程度に写真は縮小します。最後にみんなと写真を撮りたいとお願いしてよかった。

コロナ前のシンガポール出張

仕事でシンガポールは4回ほど行きました。

2015年からほぼ毎年ペースでした。 フライト時間は最悪でしたが、デルタ航空で行けたので成田空港のラウンジでワインを堪能してから出かけることができましたね。

多分、シンガポールなら暮らせるぐらい土地勘はついたと思います。

2019年の4回目は母親を初めてを連れてシンガポールに行きました。

父ちゃんも連れて行きたかったのですが、3人部屋というのがなく別途料金がかかってしまうので、とりあえず母だけ。 マリーナベイサンズに泊まり、最上階のレストランでディナー。

このときは完璧なプランを立てましたw

2020年、コロナ禍突入前ギリギリのニューヨーク出張

行くかどうか迷ったけど、外務省のホームページを見定めながら決行。

2月のニューヨークは極寒でしたね。寒くて息ができないほど。 そしてこれが最後のデルタ航空となりました。自営業としての付加価値を与えてくれたデルタ航空。

国内出張が多くなってきたのと、デルタ航空が成田空港から路線撤退してしまったことに伴って、今後はJALに切り替えました。

ありがとうデルタ航空。

2020年7月 出版記念パーティー

緊急事態宣言中の4月26日発売! 書店閉まっている! ということでなかなか出版パーティーができなかったのだけど、7月に仕切り直し。

お店を貸し切って兄嫁夫婦めいっこたちとあわせて7人、いつものレストランで出版パーティーを開きました。

おなかいっぱい、いただきましたね。

2021年7月 初のオンライン結婚式2次会を開催!

2021年、コロナ禍に突入して何もできないイベント系のこと。ダイビング仲間がそんな中、5月に結婚式を挙げました。

ただ、やっぱり結婚式とは2次会がつきもの! ということで、コロナ禍で培った講師スキルをすべて使って、新婦側のご友人たちと一緒に7月31日、オンライン結婚式2次会を開催しました。

会は本当に大成功!

新婦側友人たちの装飾スキルがすごい。

総勢25名が参加したオンライン結婚式2次会イベント。協力し合えば、できない中にもできることがある! それを強く感じたイベントでした。この日の思い出を大事にします。

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