助けている人を探しなさい

助けている人を探しなさい

熊本で震度7の大地震が起きました。

東京にいる私にはただテレビを見ていることしかできないのですが、ネットに流れてくるデマには本当に腹が立ちます。行方不明の家族を装った投稿が拡散され、後に嘘だったことがわかる。こうした状況に便乗して、送金をだまし取ろうとする詐欺も多く発生するのでしょう。

そして現地に現れる恐れがあるのが、倒壊した家屋を物色する窃盗犯です。人間としてどうなのだろうか、という気持ちが湧き上がってきます。考えられないことをする、まるで魔物のような人間がいるわけです。彼らをどう捉えればいいのでしょうか?

怒っても得るものは何もありません。それでも私は、彼らを「災害が生み出した魔物」ではなく、平時には見えないだけで常に存在している少数派だと考えるようにする。地震が人の本性を変えたのではなく、隠れていたものが表に出ただけ。だとすれば、世の中を悲観する必要がなくなります。

世の中の正確な姿は、「魔物がいる世界」ではなく、「善意が大半を占めるなかに、少数の魔物が紛れている世界」と仮定する。災害はその比率を映し出す鏡にすぎず、鏡に映った醜い部分だけを見て絶望するのは、割合の読み違いだとする。

デマを打ち消す人、詐欺への注意を呼びかける人、現地で黙々と片付けを手伝う人のほうが、圧倒的多数であることに注目する。魔物に目を奪われて、この多数派を見失うことこそ、彼らの思うつぼでしょう。

では、その少数の魔物とどう付き合うか?

天災と同じ、ゼロにはできない前提として受け入れるしかありません。ただし、受け入れることと許すことは別です。デマも詐欺も窃盗も、粛々と通報し、記録し、法に委ねればよいのです。感情で裁こうとするから、こちらの心が消耗します。存在を織り込んでいれば、驚かずに済み、備えることもできます。

熊本の一日も早い復旧を願いながら、自分の持ち場でできることを淡々と続けることが重要。魔物に費やす感情の量を最小限に抑え、善意の側に時間を使うこと。だからこそ今日も、怒りを燃料に変えて、淡々と教える準備を続けるしかないのでしょう。

とはいえ、正直に書けば、この手の投稿に遭遇するたびに、本当に腹が立ちます。

生成AIがひとつ教えてくれました。アメリカの子ども番組の司会者、フレッド・ロジャースの言葉です。彼は幼いころ、ニュースで恐ろしい出来事を見るたびに、母親からこう言われたそうです。

「助けている人を探しなさい。必ず、助けている人がいるから」

ロジャースは後年、災害のニュースを見るたびにこの言葉を思い出し、この世界が思いやりのある人たちであふれていることに気づいて心が安らいだ、と語っています。

魔物を数えるのではなく、助ける人を数える。どこに目を向けるかは、自分で選べます。報道やSNSに流れてくるのは、目立つ「分子」だけ。その裏にある巨大な「分母」—— 黙って募金した人、給水の列で順番を譲った人、デマを拡散せずにそっと閉じた人は、当たり前すぎてニュースになりません。ニュースにならないことこそが、善意が多数派である証拠です。

以前ラジオで話した「南禅寺の泣き婆さん」に似たマインドシフトです。人間嫌いになりそうになったら、それは分子だけを見ている合図。そう覚えておくことにします。

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