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tplybook — 2026年6月9日 / essay

エントロピーと、意識のゆくえ ― すべてに還る日について

エントロピーと、意識のゆくえ ― すべてに還る日について

いつものレストランのホワイトアスパラと生ハム。春と夏の間に登場する期間限定のメニューです。今年もおいしかったなぁ。

帰り道に、ふと思い出したこと

ある日、事務所から家に帰ろうとしていたときのこと。ふいに「エントロピーって、なんだっけ?」という言葉が頭に浮かびました。

きっかけは、もう自分でも思い出せません。まあ、こういうことってよくありますよね。ふっと頭の中によぎる過去の情景や、どこかで聞いたようなキーワードを思い出すこと。

その一言が引き金になって、家に着くまでのあいだ、ずっと考えが止まらなくなってしまいました。歩きスマホをしながら「エントロピー」と検索する。そして「エントロピー増大の法則」というワードに行きつきます。なるほど、物理学だ。

物理学はよくわかりませんが、見たサイトには「片づけない部屋は散らかっていく」という例で説明がされていました。生成AIにも確認したので、間違いないでしょう。

これには、妙に納得させられました。秩序のあるものは、放っておけば、必ず乱れていく。それが宇宙の決まりごとなのだと。そして、こうも思ったんです。

人間も、このエントロピー増大の法則に従っているのか? と。

すべてに還る、という考え方

人は老いていって、最後には死にます。生き物として、これはもう避けようがありません。秩序を保っていた体が、少しずつ乱れて、いつか元の物質へとほどけていく。

その「死ぬとき」について、私はふと、こんなイメージを持ちました。死ぬときに宇宙に還っていく。宇宙というか、すべてに還っていく。

不思議なもので、これがなんだか、いいなと思えたんですね。怖いとか、寂しいとかではなく、もともといた大きな場所に溶けて還っていく流れ。全身麻酔で薄れていった意識のように還っていくんだろうとイメージしました。

けれども、この「意識」はどうなるのか

ところが、です。還るのはいい。でも、こうして今ここに現れている「意識」は、いったいどうなるんだろう、と。

私には、いま意識があります。だからこそ、喜んだり、嬉しくなったり、楽しんだり、そして悲しんだりすることができている。この一つひとつの感情は、まぎれもなく「私」がいるから生まれているものです。

それなのに、エントロピー増大の法則に従って、この意識すらも、ただすべてに還って消えてしまう。そう言われると、どうしても腑に落ちないものが残るんですね。

これだけ鮮明に在るものが、跡形もなく散らばって終わり、というのは、なんだか釣り合いが取れていない気がするのです。まあ、でもやっぱり全身麻酔を打ったときは、ふっとどこかに行った気分にもなりましたから、やっぱり還るのかなとも思います。

仏教、輪廻、思念体の空間

もちろん、こういう問いには、昔から人がいろいろな答えを用意してきました。よく知っているのは、輪廻転生という考え方です。

また、霊感の強い人というのは、実際にいます。その人たちには意識が「見える」わけで、それを頭ごなしに嘘だと切り捨てることはできません。

だとすれば、肉体とは別に、意識だけが思念体のように存在している空間がどこかにあるのかもしれない。そんなふうにも考えてしまいます。

科学で割り切れるものと、そうでないもの。目で見ている空間的な次元以外の世界。そこに、この「意識」の所在の謎がありそうな気もします。

宇宙を動かしているエネルギーは、どこから

考えはさらに広がっていきます。

宇宙は、自動で動いています。けれど、何かが動くためには、必ずエネルギーが要るはずです。もしエネルギー保存の法則が絶対であるならば、この宇宙を動かしている大本のエネルギーが、どこかに必ずあるということになります。

それは、いったいどこから来たのでしょう?

エントロピーが増大し続けるというのなら、それはもともと、増大し続けるものとして始まったのか? そもそも「有限」と「無限」という分け方が、人間の頭が作った都合のいい区切りにすぎないのか。

あるいは、「無」というものなど、実は存在しないのではないか。常に「有る」からこそ、それが広がっているように見えているだけなのではないか。

こうなると、もう考えはぐるぐると回り始めて、どこにも着地しません。

私なりの、仮の着地点

それでも、自分なりの仮の着地点を置くとすれば、こういうことかなと思います。

私たちが目で見て触れられる、この空間。それとは別に、実はほんの少し次元の違う世界が、すぐ隣にあると仮定する。死んだあとに意識が向かうのは、そういう場所なのかもしれない。

とはいえ、結局のところ、答えは出ないんですけれどもね。出ないとわかっていて、それでも考えてしまう。人間というのは、そういう生き物なのだと思います。

カントが『純粋理性批判』で説いたように、私たちは「物自体」そのものには手が届かず、時間と空間という自前の枠組みを通して立ち現れる「現象」のほうしか受け取れないのでしょう。

だとすれば、世界の本当の姿が最後まで謎のままなのも、当たり前のことなのかもしれません。

ああ、Excelもそうだな

この「エントロピー」という言葉、まさにExcelもそうじゃないかと気づいた次第です。100Excelのサイトにも、7つ目の記事でそのことを書きました。

Excelというアプリケーションには、エントロピー増大の法則が働いています。ルールを決めて操作をしないと、ワークシートはすぐに散らかっていく。部屋とまったく同じです。

だから私は、どこで作業をしていても、保存する前に必ず [Ctrl] + [Home] でセルA1――ホームポジションに戻します。複数のシートがあれば、一枚ずつすべてA1に戻してから保存する。

くだらないと笑われることもありますが、これをやらないと、ワークシートはあっという間に乱れて、属人化していってしまうのです。それはわかっていた。秩序は、放っておけば保たれません。誰かが、意識して、エネルギーを注ぎ続けないといけない。

自分はエントロピー増大の法則という言葉を知らなくても、それを実践していたのは偉かったですね。うんうん。

小さな世界で、私たちは生きている

宇宙全体から地球を眺めてみると、私たちの喜怒哀楽――喜びも、悲しみも、嬉しさも、楽しさも、本当に小さな、小さなものなのだと思います。

私たちは、その小さな世界が作り出した枠組みの中で、物事を判断して生きています。だから、もっと大きな世界の本当の姿を知ることは、たぶん一生かなわない。これも、仕方のないことなのでしょう。とまあ、だから何だ、という話なんですけれどもね。

結局、一般的に幸せといえる人生を送れればOK。その「幸せの送り方」だって、自分の頭の中で考えて決めたものにすぎません。

それでも、幸いにして私は、日本という恵まれた国に生きている。これは、ずいぶんありがたいことだと思っています。戦争を体験したことのない時代と場所にいる。これだけで本当に幸せなことなのです。

朽ちていく自分に、どこでエネルギーを与えるか

何もしなければ、私たちはエントロピー増大の法則に従って、ただ朽ちていきます。

だとしたら、自分のどこに、維持するためのエネルギーをうまく与えてあげればいいのか? それを考えはじめると、また堂々巡りが始まります。

けれど、悪い堂々巡りではありません。料理をすること。行きたかった場所に足を運ぶこと。パソコンを持たずに出かけること。そういう一つひとつが、たぶん私にとっての「A1に戻す」所作なのだと思います。

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