「おててをぱっちんごいっしょに、いただきます」

家族と過ごす時間が多くなったのも、姪っ子が生まれてからだったと思います。兄貴とは一緒に暮らしていたとき、音楽の趣味も違いますし、6畳しかない部屋をせめぎ合うようにして過ごしてきましたから、叩いたり叩かれたりの喧嘩もしました。

けれども兄貴が独り立ちをし、結婚し、姪っ子が生まれます。当初、おじさんになるということが、いまいち理解できませんでしたが、なんでしょうね……。

立派に育ってほしい

とは、おじさんながらに強い思いがありました。しかも、かなり強力な。

その思いも加わり、兄貴のサポートをよくするようになりました。車も姪っ子のためなら仕事を休んでも出しますし、遊んだりもしています。「愛する」ということがまったくわからなかったのですが……なんと表現しましょうか? 宗教的ではありますが無条件の愛というものを姪っ子を通じて感じ取ったわけです。

恋をするときは、その人と必要以上に向き合いますよね。

けれども愛になったとき、姪っ子と遊んだりするような感じなのかもしれません。それは未経験ゆえに言語化できません。これがほしい、あれがほしい。あれやって、これやって。向き合う時間ではなく、その場所に一緒にいる時間がとても楽しい。

姪っ子による子育ての疑似体験。いまはもう大きくなってしまいましたが、恋と愛は、そこが違うのかなと、と奇妙な感覚による予測をしました。

恋しているときは、いろいろと計画を練ったり、相手の喜ぶことを常に考えて、それがまったく達成しなかったとき、すこぶる疲れます。ただ、愛になるとそういったことが疲れないのでしょうか? 確かにエンドレス高い高いをしたときはぎっくり腰になりそうでしたが、苦ではなかったですし、楽しかった。そして、例えばプレゼントが満足しないものであっても、じゃあ次は~という考えに立ち直ることができる。

一方的な恋が多かったため、ここはわかりません。誰かにアドバイスをもらってもわからないでしょう。疑似体験……。ああ、そうだ。キャバクラについても書かないと駄目ですね。