大学を卒業された方なら、同窓会通知とか、●●周年イベントのお知らせとか、決まって寄付金用紙と同封され、不定期に届くことと思います。
愛校心がほとんどない自分にとって、そんなお知らせには興味がなく、普段は開封もしないでダイレクトに捨ててしまう類の郵送物ですが、どういうわけかその日、封筒を開封しました。
成蹊大学法学部創立50周年記念行事開催のお知らせ
祝賀パーティーだけではなく、体験ゼミもあるとのこと。記憶にある教授名が目に留まり、その中に当時バドミントンでお世話になった先生もいたので、行ってみようかな…という気分になりました。
居場所がパソコンルームしかなかった自分にとって、体育の授業が本当に楽しかったんです。単位に反映されなくても、登録はできたので参加していたほど。最後のバトミントンの授業の日、4年生のメンツで飲み会を企画し、その先生が新宿まで来てくれた記憶を思い出します。
あの先生ならまだ覚えているかな? という期待もありました。そんなわけで、祝賀パーティー参加もセットで5000円を支払い、Excel講座を休講して参加してみました。
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渋谷から井の頭線で吉祥寺まで、急行でおよそ17分。
読書をよくしていたので、30ページは読めるぐらいの時間感覚です。すっかり改札出口も変わり、駅はショッピングセンターのロンロンからアトレへと変貌を遂げていました。
大学生活4年間すごした吉祥寺。当時は好きでしたが、卒業後はあまり好きでなく、ほとんど吉祥寺に行こうとは思いませんでしたね。
まだ同じ場所にあったイタリアントマト。毎朝ここのイタリアントマトでコーヒーを飲んでから大学へ向かうというのが日課でした。
2階に上がって、いつもの場所に座る。当時は喫煙が可能で、毎朝パチンコの開店待ち廃人が揃いにそろって煙草を吸い、それほど煙は感じなかったのですが、まあ嫌でしたね。
先が見えないほどまっすぐな道を歩いて、大学まで向かいます。景色が変わっても、どのタイミングで五日市街道沿いに出るか、その通学路は覚えていました。
昔はラーメン次郎だった気がするのですが、生郎になって、その後はどうなったかわかりませんが、2018年11月現在では「成蹊前ラーメン」になっていました。
オーダーシステムが極めて面倒で、個人的に嫌いでした。1回オーダーシステムの知っている人と入って、学生時代に「これは病みつきになる人もいるな」と思った記憶はあります。まあでもオーダーの仕方がわからないので、結局その1回こっきりでした。
店主が病気でということでクローズになっていましたが、ラーメンの好き嫌い別として心配です。
そしてこんにちは。成蹊大学。過去の自分がそこにいる気分になりました。
学食はいつだってたいして強くもないラグビー部が我が物顔で占拠しており、そんなにおいしくもなく、安くもなく、4年間で5回も利用しなかったんじゃないかな。
大学3年ぐらいに丼専門の学食が別にあることを知り、そこでいつも食べていた記憶があります。ひとりなので、さっさと食べ終えたい。それがゆえに早食いのスキルが育ちました。
ほとんど一人でいる時間が多かったので、ネック型ヘッドフォンを常に装着し、J-WAVEを朝から晩まで聴いていました。当時のパーソナリティーは、ジョンカビラ→クリス智子→南美布→金子奈緒→ピストン西沢&秀島史香 という、朝から夜までラジオ漬けでしたね。携帯ラジオがなかったから、学生生活は乗り切ることができなかったでしょう。
さて、大学で必ず訪れた場所はここ。
当時はここに掲示板があり、法学部の休講情報を真っ先に確認します。2000年のあの頃はISDNとADSLの時代、PHSか携帯電話の時代です。
すこし早めに着いたので、ここまで記載したようにマイナスな記憶しか思い出すことはないのですが、紅葉がきれいだったので大学内を1周してきました。
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定刻になり、受付会場となる1号館へ移動、2号館で記念ゼミを行います。
撮影に関しては何も注意はありませんでしたが、基本的に写真はNGだろうと思い、スマートフォンはオフの状態で教室に移動します。久しぶりにご対面、社交辞令ではなく、ちゃんと覚えてくれていてよかった。当時の話を覚えている限りさせていただきました。
講座は学生が主体で行われましたが、初々しさとはこういうもんだなと。
90分の講座が終わり、6号館に移動して合同祝賀パーティーの開催場所へ。もう僕の知る建物ではなく、号館まるごと立て直しがされ、もはや別の大学でしたね。
ケータリングサービスでしょうか? おいしそうなお寿司でした。こういう立食パーティーはゴマンとやってきたので、最適な位置取りをして開催の挨拶を待ちます。
安倍首相が登場したのはスタート10分ぐらい。同じ学部なので、いつもはこういうイベントに顔を出すそうなのですが、APEC首脳会談に行ってしまい、今回は不在です。
そこからがまあ長い。だらだらだらだら。
最初のスタートから時計で計って45分。ビールは温くなるし、寿司が渇く。乾杯の挨拶ですら、5分はありました。中川家かサンドウィッチマン、これコントに取り入れてくれないかしら?
ようやく乾杯。
安倍首相のビデオになったとき、自分のまわりに人が集まってしまったので、参加人数に合わずビールと寿司が少ない事態が発生してしまいます。しかも子供がきてしまった。
挨拶という苦痛に悶絶している子供に、先に寿司を譲らざるを得ないではないですか。ゆえに、ビールはコップ2杯ほど。おすしは4個ぐらいしか食べることができませんでした。場所を変えて、SEIKEIワインというものが隅っこにありましたが、感想を述べるのはやめておきましょう。
あ、白はちょっとおいしかった。
名刺交換も何度かされましたが、本当にただの挨拶だけ。名刺交換仕掛けてきたなら、なんか聞こうよ。輪がすでにできてしまえば、日本人はそこに落ち着いてしまい、動くことはありません。
僕は●●部で、
私は●●サークルで、
妻は●●会所属で、
先輩が●●株式会社で、
出向いてみての感想は、一人参加されている人は皆無なので、孤立状態は続きます。まさに大学時代と同じ境遇に陥り、さすがは我が母校! と懐かしい気持ちになりました。
孤独の力を養ってくれて本当にありがとう。
人生のリズムが合わない人ばかりの環境に身を置くことができたおかげで、今の世界に入る修行をさせていただいたんだなと。他の大学だったら、きっと今の自分はいなかったと思います。久しぶりに過去の自分とも会えたので、こう伝えるのがベストでしょう。
後悔のない15年後にようこそ