罪悪感は完全主義者の自滅傾向の1つではなかろうか?

タイムリーな話題でもないのですが、7000回ものクレームを1200店舗に入れて捕まった女、という異様なニュースが、2015年の9月下旬頃にありました。

最初に思ったのが、この女はどういう心理でクレームを? というもの。思わずニュース記事を熟読してしまいました。

ラーメンに髪の毛が入っていても、ちびまるこちゃんで言うなれば、管理人は中野さんみたいなもので、どうしようかな、言おうかな、でも面倒くさいな、別に死なないから大丈夫だよな、と何事もなかったかのように過ごしてしまいます。

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2014年12月31日にも、とある京都のビジネスホテルへ泊まろうとしましたが、母と管理人、2人宿泊でベッドが1つしかなく、つまりはツインとダブルを間違えられたのです。激しくクレームを出したものの、本当に満室だったのでしょう。暖簾に腕押しでした。

その後、なんとか保証してもらおうとチケットを手配した旅行代理店に電話します。12月31日と1月1日の狭間、酒に酔っていたし、10分ほど文句を言い続けていましたが、酔いも覚めてきて、

(新年を祝う大晦日と元旦の間に、何を文句言っているのだ、このクレームを入れている旅行代理店のお兄さんも、客の怒りを受けながら新年を迎えるというのもかわいそうだ。俺がじっちゃん家に戻ってコタツで寝ればいいや)

とまで思い、敗北宣言。1人分の料金を返金してもらうことなく、電話を切ってしまいました。

新年早々、疲れました。何が疲れたか? その後に襲ってきた罪悪感に、相当疲れました。母をホテルに置いて、トボトボ雨の中を帰宅した記憶はいまでも忘れません。

1回のクレームでさえ苦しむ罪悪感、7000回ものクレームだなんて、1件1万円もらったとしても、精神崩壊しますね。プロ・クレーマー。尊敬さえ感じます。

全て嘘のクレームなのは、ひどすぎますけど……。

あの女性は、罪悪感というものがなかったのでしょうか? 7000回も電話ができる→罪悪感が超越すると、快楽・快感に変換するのではないか? とも思いました。ラーメンの中の髪の毛1本レベルも対応できない自分にとって、まさに異次元のニュースでした。

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クレーム。つまりは、主張。

怒りという感情があろうがなかろうが、言葉を発したあとにくる罪悪感に縛られているというのは、前々から気づいていました。それが嫌で、ラーメンに髪の毛が入っていたとしても、何も言えない自分なのです。

あの罪悪感は、主張後に発する排気ガスのようなもの。負のエネルギーといってもいいでしょう。だから何も言いたくないのです。何も言わなければ罪悪感は起きないから。問題が解決したとしても、その罪悪感に悩むくらいなら何もしないほうがいい。そのほうが幸せだし、相手もハッピーじゃない? そうだそうだ。

無意識レベルで、そんな逃げの論理が働いています。新年早々、そのビジネスホテルの件もありました。今年はこの感情のコントロールがテーマだったのでしょう。

仕事においても、契約と相違があったらきちんと言わないといけません。自己犠牲する必要は1ミリもないからです。まるで今年は罪悪感を克服させるために、主張しなければならないシーンが仕事でめちゃくちゃ多かった……。

逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ。エヴァンゲリオンのシンジ君のあのシーンが過ぎります。

どうしたら主張後にくる罪悪感を克服することができるのか? この答えをずっと求めていました。答えを見つけるべく、罪悪感で出てくるまとめサイトや、克服する記事がいくつか見つかりましたが、結局のところ、これは自分自身で克服するしかなさそうです。その他の情報は、高いだけの啓発セミナーのように、そのときだけ満足するも明日にはまったく役に立ちそうにありません。

そして一昨日、主張しなければならない件があり、慎重に主張してきました。そして現れた罪悪感に対し、こんな思考がされたのでEvernoteでログを取っておきました。

「その主張が間違っていたら謝ればいい。罪悪感を克服するためには、完璧に間違いのないことを伝えなければならないという、完全主義者の自滅傾向が働いていることを知らなくては。完全主義者の自滅傾向。なるほど、完全主義者ゆえの罪悪感だったのか?」

罪悪感=完全主義者の副産物

完全主義者というフレーズが出てきたことによって、かなり気持ち的にも楽になったんです。主張が間違ったら謝ればいい、主張が通らなかったら諦めるか、しかるべき行動に出ればいい。対応してくれたら、ありがとうとお礼を言えばいい。不完全な主張でも、揚げ足を取られたとしてもさほど大事には至らない。

完璧な主張などない

なかなかすっきりしました。ただ、この過剰ともいえる罪悪感を克服するためには、もっと様々なシーンと遭遇しなければなりません。罪悪感とはネガティブ思考と同じで、自動的に生まれてきます。だから厄介な心の作用なんですよね。

まだまだ時間がかかりそうです。けれども前年度よりは、既存の心の反応をコントロールできつつあります。せっかくならば、年内に克服してやりたいものです。快楽があるなら、それを得てみたい。

また変化がありましたらブログに書こうと思います。