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頂いている仕事が忙しい、という鉄板の理由もありますが、脱出ゲームというテーマを失ってから、迷走を続けている当サイトです。なかなかこの迷走から脱出できない……。しかし、迷走を続けているだけでは、リアルタイムプレビュー4000でもサーバを潰すことのない環境、そしてSSL通信まで導入していることが無駄でしかないので、文章を書くという習慣だけは取り戻さないと! と思い、このテーマで記事を1本書くことにしました。

この記事を書かせる動機を作った人に読んで欲しいのですが、ブログ記事とは自分の成長を残すためのものでもあります。また、出現したもやもやを論理的に整理するため、月曜日の雨が強い朝、60分だけ時間を使って、ここに吐き出すことにしました。以下、ほとんど管理人の回想録、言い切り口調で記載しました。

晒してしまうと、やはり恥ずかしいものですね。それでは行きますよー。

20代の頃の失敗まとめ

1.小説家になりたいという事故に遭遇

大学3年生から、私は小説家になりたかった。ハリーポッターの世界観に憧れて、ファンタジーの世界を舞台にした小説を作りたかった。

アルバイトをして、小説を習う学校まで行った。そこは怪しげな学校ではあった。しかし、そこで出会った先生の言葉が、当時気になった。「小説家になりたいというのは、交通事故にあったのと同じでね。すべてを犠牲にしてしまうんだよ。まあ、あなたは若いからその心配はないけれど……」

確かに「事故」という表現はマッチしていた。大学卒業後、フリーター、ニートというラベルを貼ることが自分の中で流行り、オレナンカドーセというストレスを受けていた。本屋で本を買っては、本屋の本に圧倒され、自分の物語を出せるのか? 書くことがなくなってきた頃、次第に本屋に行くことが辛くなっていった。

やりたいことをやっているはずなのに、どうも夢中でやれなかった。

定まらないアルバイト、同級生の結婚と出産による劣等感……負のオーラは、そうして生まれていった。小説家になりたいという欲求は、事故に遭遇したわけだから、これはしょうがないものだ、と今は理解している。ああ、これは厄介な事故だった。

この件に関する失敗は、心が弱かった、ということ。だから夢中になれなかった。

いま心にある情熱、目標、実現したときのことなどを書き留めて、「心の柱」を作ればよかった。貯金通帳が0になっても、実家という究極の砦があり、毎日温かいお布団で寝られるという環境が整備されていたのだから、強い心を持って小説を書けなかったことが残念だった。

2. 就職活動というか、「仕事」のやりがいがわからなかった

小説家の夢を断念したのは、親から借金をしたこと。さすがにもう無理だ! と、気づけたのが幸いだった。小説家志望からの脱出ができた。あれから小説というものを、ことごとく読んではいない。

当時、短期アルバイトしかしていない上、年齢は26歳、新卒採用というものは既になく、中途採用しかなかった。Office製品しかスキルがなかった。毎週月曜日、新聞にあった求人広告をチェックして、大学職員学内インフラ担当として採用を決めた。単純に運がよくて、採用されたようなものだった。

問題点としては、サーバの取り扱いがど素人だったこと。

イチクニイチロッパという業界呪文が当たり前の世界で、LANケーブルの巻き方すら知らないのに怒られ、ハブやルータのつなぎ方すらもわからない、ゴーストサーバ? レイド? ヴイエムウエア? アイアイエス? デーモン? トムキャット? バラクーダ? シスコ? どんどん上司は専門用語を使ってきた。毎週火曜日のミーティングでは、ただ座っているだけ、ただただ辛かった。

就職して、1週間後に辞めたかった。上司が嫌いだった。就業場所が嫌いだった。学生も嫌いだった。アルバイトのクソババアも殺したいくらいだった。けれども「短期間で辞めるのは怠惰だ!」的なフレーズがどういうわけか多く目に止まり、これまでアルバイト経験しかなかったから、心機一転してがんばろうと思ってしまった。

結果、がんばった。大学職員だから、給料は最高だ。1年目の最初のボーナスでさえ、100万は入ってきたから、最高だった(税金で10数万ほど差っ引かれるが…)。

ここでの失敗談は、ストレスで苦しくなり、金を手に入れた。ただし、遊ぶ時間がない。ゆえに、酒に溺れてしまった。毎週金曜の夜は、吐くまで飲むというのが習慣だった。友達もいなくなっていった。酔って、自棄になって、電話帳を全部削除したりもした。酒が原因だった。

以下、駄文となる。

貯金は160万まで貯まり、1年で退職を決意する。決意できたきっかけは、実に偶発的な出来事だった。大学の体育館外通路を、プロジェクターの交換用ランプを持って歩いていたら、途中で心臓が3秒ほど途中で止まったのだ。その場で倒れて、ランプを割ってしまった。すぐに目覚めたのだけど、脳に血流が戻ったその一瞬が快感だった。気持ちのいい朝、目覚めた感覚だ。ああ、もうダメだ。辞めようと本気で思えた。

過労自殺というものがキーワードとして上がっているが、私の友達も過労とマリッジブルーが重なり自殺した。そいつのことを思いながら、あの失神が身を救ったといまでも思う。もしかしたら、助けてくれたのだろうか? 仕事で借りがあったからな。

大学職員からの脱出。

ここから学べたことは、3ヶ月ぐらいいないと全体が見えないので、そこまでは在籍し、どうしても合わなかったら辞めればいい、というもの。理由はないが、3ヶ月まではどんなに自分とあわない職でも耐えられると確信はしている。ただ、3ヶ月を過ぎるとダメだ。プロジェクトに関わったりすれば、もう辞めるタイミングを失う。

ただ、難しい。中に入ったら、辞めると言い出すのは至極難しい。一歩踏み出すという勇気、前述の通り、3秒だけ心臓が止まらなかったら、私だって決意できなかったことだ。辞めグセがつくぞ、社会人として失格だ、転職多いね、○○君は優秀だ、それに比べて……辞めるときの批判が、なんとも強烈で素晴らしい。思い出すだけで、胃に穴が開きそうだ。

ストレスを受け続けることが仕事ではない。仕事はWinWinでなければならない。自営業になって気づいているが、残業時間は存在しない。しないが、大好きなクライアントのためなら、徹夜だってできる。すごい、ありがとう、頼んでよかった! と言われると、全てが報われる。祝杯は、たったビール1缶で足りてしまう。良質な酔いとなる。

植物と同様、自分の環境に合わなかったら萎れていくだけと考えるし、吐き出せないストレスを解決するため、休日は過剰な快楽を求めてしまう。やりがいのある仕事を探せばいい。そのためなら、何社辞めたっていいじゃないかと私は考える。絶対に100点が取れない世界だ。そういった環境では、完全主義者でなければならない。いつだって減点評価なのだ。

そんな思考回路のためか、1社採用されたが、会社がすぐに倒産、その後はどこにも採用されなかったし、もはや会社に勤めることが不能と思われたので、自分でやるしかなかった。だから個人事業主で開業届を出した。それしかもう、収益を得るための選択肢がなかった。

自営業ですか、フリーランスですか。すごいですね。なんにもすごくはない。ただし、やりがいのある仕事を見つけた。大それたことじゃないけど、やりがいを見つけたことは自慢できるかもしれない。フリーランスの世界は、少なくとも加点評価の世界だと思っている。

当時の私には行動力がなかった。たったの紙切れ1枚、辞表届というもので、簡単にその場所から脱出できるのだ。あの愚痴ばかりな日々の時間を削ることはできたはず。遅くなった。

3.実家ぐらし

友達から一人暮らししろよ、と何度も言われたが、現在進行形で実家ぐらいであることに、何も恥ずかしさはない。する必要があったら、すればいいだけのこと、と考えている。そんなに命令するなら、月10万振り込んでくれ。喜んで、いますぐに一人暮らしをしよう。

ただし、父が65歳になって家にいるようになったら出ていく計画はある。居場所を改めるのは、タイミングがあるんだ。それを他人からとやかく強制されたくはない。

では、なぜ失敗談として入れたか?

20代前半はアルバイトをしながら小説を書いていたため、月に10万程度しかなかった。年金、住民税、健康保険、携帯代金、インターネット料金と、生きているだけで5万は消えていく。そのため、親に家賃を納めるということをしなかった。いまはもう大学4年間の学費と法外な入学金ぐらいは納めたけれども、小説を書くという選択肢を取るならば、この条件を入れなかったのが20代最大の失敗だった。

実家ぐらしをする以上、実家に月5万でも納めるのは当然であり、義務だった。それをせずに実家ぐらしをしていたことが、20代の大きな失敗だったと考えている。

自営業4年目で気づいたことがある。人のために使うお金はなくならない。喜んでいただいた分、戻ってくる。自分の成長のために使うとトントン。自分の欲のために使えば消えていく、という法則だ。小説を書いていた時間は、まさに自分の欲のためにお金を使っていたようなもの。たとえ単発アルバイトで15万円得たとしても、一瞬で消えてしまった。

自分の夢を追って家にいるのであれば、繰り返しになるが最低限、1万円でもいいから家にお金を入れなければならなかった。そのため、親からみたら当時の私は、純粋なる不安材料でしかなかったはずだ。まさに、20代の汚点としている。

4.「楽しい」より「楽」を選んでいた

親友が言った。「最小限の努力で最大限の利益だよ」。確かに効率化という面からすれば、いい言葉ではあるが、20代の私は「楽をして儲ける」ということにフォーカスが向いていた。大学職員もそう、楽だろうし、きっと収入もいいだろうと、心底思っていた。確信さえあった。そして、あんな独りよがりな失敗をした。

他人がいいよと勧めるものにほいほいついて行き、不労所得というものに憧れれば、ネットワークビジネスのセミナーに参加してしまったりということもあった。きちんとした理性が働いていたので、その場から脱出することができたのは、ストレスがなかったから。あのまま飲み込まれれば、自分が使わない商品を友達に売っていたに違いない。私が参加した商法、あれは悪だ。

テレビゲームだって、楽しいからするのであって、チートを使ってするゲームほど(1回目は楽しいけど)退屈になるものはない。楽を求めれば、変な道を歩むこと間違いない。

5.20代の辛さが30代に全て役に立つことを知らなかった

これは失敗ではなく、しょうがないことだと思っている。未来はいつだって不安だからな。

しかし34歳、小説を書いていた私が、まさかExcelの本を出版できた。サーバなんて大嫌いだ、もう見たくないと思って辞めたのに、いまは全国出張できるネットワークの仕事を頂いている。自営業として、過去に苦しんだ仕事のご依頼を楽しく受けている自分が、なんとも素晴らしいと思う。

過去の自分にどうしたら伝えられるだろうか?

だとしたら、20代もっと行けたか? 否、当時のスペックでは全力でやったつもりだ。30代の今、そう認定する。ここまで書き尽くした失敗、いまとなっては後悔があまりない。34歳になって、夢、仕事面において、20代の失敗をすべて成功に変換できた。その未来があることを信じていれば、もうすこしだけ20代の人生を楽しめたかもしれない。後悔があるとしたら、実家ぐらしで家に納めなかったことに加え、そのくらいだろう。いまの辛さは30代で生きてくる。自己啓発本で何度も読んできたことを、素直に信じればよかった。

さあ、書ききったかな? 既に原稿用紙10枚分になってしまった。恋愛について書きたかったけど、それはまた別のときに書こう。

振り返りのまとめ

いつもの文体に戻り、こんな長文を記載しました。問題はここからかな。

今週の10月22日で35歳となります。30代での失敗談、まだお酒に溺れてしまうという問題点があり、これを脱出しないと、40代でガンになって死ぬんじゃないかと危惧しています。また最近、酒癖がひどいことがお困りごとです。本当に改善しないと……とは思うのですが、酔った自分を調教するというもの、かなり難しいもの。永遠の課題ですね。

人生のステージにおいて、訪れる40代のために、では30代どんな試練を乗り越えているかというと、ここまで記載して、あまり乗り越えていない気がしました。20代の失敗を34歳ですべて成功に変換しただけで、40代の自分を想定していないことに、強く気付かされました。

他人のフリ見て我がふり直せ

冒頭にも記載しましたが、上記記事を書くに至った人がいます。その人を見て、ここまで書きたくなりました。自分の失敗をそのまましているので、自分の過去を判例として伝えたいと考えたのです。けれども、その人の人生は、その人がプレイヤーなので、どう進むのかまでは強制できませんし、してはいけないと考えています。

それは、小さな親切大きなお世話というものでしょう。それよりも、40代の自分を向かないとまずいなと、書き出してみて気が付きました。書くって、やっぱりいいですね。時間軸はどんどん進んでいきます。自分の心配をしないとですね。

もし、ここまでご一読頂いた方、本当にありがとうございました。