2017年3月11日。無事に本日開催のAccess講座が終了しました。

土曜日、今回の講座はマンツーマンレッスンなので、何か起きたとしても迅速に行動することは可能です。ですが、6年前はWordの講座で地震が発生、集団講座での講師ゆえに、避難指示を出さなければ行けない立場でした。

判断の迷いが多かったなと、今でも反省しております。

人生初めての揺れを体感して、頭真っ白というか、アドレナリンが出まくって興奮気味だった、というのが正解でしょう。ひとまず受講生全員を連れて近くの公園に避難したのですが、2、3回強い揺れのあと、どうすべきかしばらく呆然としていました。

受講生のおっちゃんの一言で救われた気がします。

「さかきさん、こういうときどうすればいいか教えてやろうか。解散するんだよ。解散しちゃえば、また揺れがひどくなってうちらになにかあっても、先生に責任はなくなるからな」

これが正しいのかどうか、さっと判断できず。

教室には飲み物を置いておく冷蔵庫があるだけ、食べ物もありません。電気とトイレだけはありました。5階という高さ、耐震がされているのかどうかも不明な古いビルの建物に、30人を留めておくほうがリスク高いかもしれない。また、受講生はその教室区内に在住している方が多いので、自分の身は自分で守ってね、と解散案こそ、一番被害を抑えられる判断なのかなと思いました。歩いて帰れる人も多くいましたから。

「でもさかきさん、解散してなんかあったら、やっぱり『解散したからだ』ってことになるんだけどな! わっはっは」

(どちらを選んでも罰ゲーム。ならば、自分の身のために解散案を取り入れよう)

携帯電話が一切使えなくなり、けれども固定電話は生きていたので、社長に状況報告をし、解散の許可を取って授業を中断、3時半には解散しました。で、事務所右奥に床屋さんがあるのですが、そのテレビで流れていた津波の映像は衝撃的でしたね。

あのときのこと

当時まだスマートフォンを持っていなかったので、情報入手がまったく下手くそでした。

唯一連絡が取れなかったのは、母だけ。幸い、六本木ヒルズに友達2人といてくれたようで、連絡が取れたときは一安心した記憶があります。その日実家に到着できたのは、自分だけ。戸棚のグラスが4個ほど割れており、すべての部屋のものが日常通りだったので、一安心しました。

パソコンモニタがかなり違う場所にあったのはビビりましたが。よく倒れなかったなと。

3月11日は金曜日だったので、土日は家で過ごすことができたのですが、あの状況が飲み込めない中、3月14日の月曜日にどうして無理に会社へ出掛けたのかな? と、今でも後悔しております。停電して電車が動かないかもしれない、また強い余震がくるかもしれない。

仕事熱心というか、馬鹿だったとそれだけ思います。

その学校は職業訓練校だったので、命令系統が民主党が与党のときの厚生労働省。ほんと、まったく機能していなかった。だから、自分たちが無理に動く必要もなかったのかなと思います。10日近く何にも音沙汰がない状態のあと、ようやく命令措置が届きましたからね。

それを経験則として、くるかもしれないという南海トラフ巨大地震が起きた場合、一切の仕事はやめて命を守る行動に出ます。いまは会社員でなく自営業者になっているので、有給だったり、欠勤だったりと、まったく関係のない生活を送っていて、それだけは救いなのかなと。ただ、請負した講座の授業中に地震、というこもあるので、そのときは的確な判断ができるよう、受講開始前にはいろいろ確認をしておかないとですね。

そう、まだ新しい自分の事務所には水しか用意がなく、食料、防災グッズをしっかりと整えておかないと思いました。